なぜ長崎に原爆投下されたか - IT生活向上ブログ

なぜ長崎に原爆投下されたか

ひさびさの日記。

そのきっかけは下記の記事。
http://japan.cnet.com/blog/kurosaka/2010/08/10/entry_27041615/
続・なぜ長崎は選ばれたのか

私個人としても概ね同意見。ただコラムの作者であるクロサカタツヤさんは、長崎への原爆投下に疑問を抱いている模様。メールしようと思ったが、連絡先がツイッターしかないようなので、コラムにすることにした。

これで疑問が晴れるとは思ってないが、他の人の意見も参考にはなると思う。まぁ、こんなページにたどり着く可能性はほとんどないと思うが、もしかしたらどこかで、ご覧になってくれるといいなと思いつつ書きます。
私もこのエントリーを拝見するまでは、なにも感じていませんでしたが、あらためてもう一度考えを整理してみるいいきっかけになりました。

私個人としては、原爆投下の理由は非常に単純で「議会で決定していたから」だと思ってます。なぜ2発かという疑問も、インプロージョン型とガンバレル型双方の実践データを取りたかったからだと思ってます。
この決定も既にルーズベルトの時に決定しており、トルーマンは単に引き継いだだけと見ています。

より正確なデータを得るためには比較的平地である方が効果が高く。また、原爆投下の時点でより破壊物が少ないほうがよいです。数ある候補地の中で最も有力だったのは、広島と京都だったはずですが、京都は幹部の一人が
猛反対したために、小倉に移ったとされるのが通説です。そして小倉は天候不順のため第二目標の長崎に変更となった経緯があります。

1945年5月10日の第二回選定会議で、京都、広島、横浜、小倉とされた。このときの基準が
・直径3マイルを超える大都市。
・爆風によって効果的に破壊しうる都市。
・8月まで爆撃されないままでありそうな都市。
となっていました。

その後紆余曲折あるが、再度長崎が目標候補となるのは1945年7月24日である。ここで長崎が候補にならなければ投下はありえなかったので、なぜ長崎かを検証するにはこの日を検証するのが適当と思います。

一つの理由は京都の代わりに小倉になったわけで、第二目標は小倉から近い都市になるのは不合理ではない。
では、どこを候補にするかだが、1945年4月27日の第一回選定会議で選ばれた都市から選択するのが妥当であり、この都市から小倉に近いのは、下関市、山口市、八幡市、熊本市、福岡市、長崎市、佐世保市あたりなので、ここから候補が絞られたと考えるのが普通だと思われる。

ちなみに第一回選定の基準は詳しくはわかりませんが、「アメリカにとって邪魔な都市」という非常にあいまいな基準だったようです。この選定は第20航空軍の意見が強く反映されたものと思われます。そして、そこで選ばれた8都市に17都市が研究対象として加えられた。長崎市と八幡市はこの最初の8都市に既に入っていました。
地形的にも佐世保より長崎のが不利だったと思います。にもかかわらず、最初の候補に入っていたということは、佐世保市や福岡市よりも、アメリカ(第20航空軍)にとって邪魔な存在だったと想像できます。

軍事的な観点からいけば、当時長崎は欧州との貿易の拠点だったわけだし、効果的に日本を叩く事を考えれば、選択肢としては普通に考ええるものだったと思います。そこにいるカトリックを「同胞」だという意識はなかったと思います。自国民は当然帰国してるという前提で物を考えると思いますから。

ですから私個人としては、小倉から長崎に変更になったのは偶然で、長崎が選ばれたのは必然だった。と考えてます。

どうでしょうか。歴史というのは得てして偶然の積み重ね的な部分もあるので、もっと隠された秘密があるのかもしれませんね。

カテゴリ:日記・コラム

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posted by wing at 2010/08/16 03:29 | Comment(0) | TrackBack(0) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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